Studio Way To Moon

日記(2011年07月)

・2011/07/29 レベル2+発症 after 屋外プール

 としまえんプールに行くにあたって、近所の室内区民プールと同じ貧弱な装備で挑んだために、とても痛い目にあったのでした。一緒に行ったみなさまにはたいへん迷惑とご心配をおかけしました。で、どんな目にあっていたのか書こうとおもいます。プール自体はとても楽しかったです、後に地獄がまっていただけで。

 としまえんから池袋に移動して、何か食事でもしようということになったので、月路でだべろうと月路に移動。とちゅう酒屋のやまやで飲むものを買うが、お酒は体調を崩しそうな予感がしたのでレッドブルを購入。コンビニと値段がかわらないマジックに驚く。で、店に着いてだべりながらTVを見ていると、目まいがしてきた。また、なんだか熱っぽいのでやばい感がひしひしとこみあげてくる。みんなには悪いけど、月路を引き上げて病院にゆくことにした。月路の片づけと戸締りを仲間にたくして。で、月路の最寄りの救急病院はよく知らなかったので、いつもかかりつけの帝京大学病院にタクシーで移動し、救急外来に突撃。問診票を書きしばし待ち、診察してもらう。熱中症の疑いがあるので、心電図をとり血液検査。また、点滴を打ってもらった。このとき、最近久しく息をひそめていた心の中の闇の部分がうごめき始める。「点滴に毒をしこめば、私を簡単に殺すことが出来るだろう」「そうでなくとも、治療を消極的なものにとどめて、自滅させることも出来よう」と。見えない敵と戦うというのは、そういう陰謀の存在の幻影と常識との間で常に葛藤を繰り返すということである。もっとも、見えない敵自体は幻想の産物だとは思っていない。私の周囲の情報の流れをコントロールすることで、私を支配しようとしている存在が、人間関係連鎖3以内のところにいるという直感は信じずにはいられないほど強く確かである。それはそうと、人間が生きるためには誰かを信じずにはいられないのだし、悪魔の様な治療というレアなものに殺されるのなら、もはやしかたがない。そう、覚悟させられるだけの信用は、いままでいろいろと治療してくれた帝京病院にはあるのだ。

 で、心電図をとり、点滴を打っているときに、窓口にご友人が訪ねてきていますという、連絡があった。月路の鍵を返しに来てくれたのだ。面会するかどうか判断を求められたが、左右に急病人がいる中で、冗談をいって笑いあうという状況にはなりにくく、また、自分の格好が重病人風で心配させてしまうのもはばかられたので、鍵を窓口に託してもらって、帰ってもらった。ちょっと冷たかったのは許してね。

 心電図をとりおわったころ、先生がやけどの薬を塗ってくれた。なにやらブルーのジェル状のものだ。これが大変良く効く薬だったことが、次の日に判るのだが、このときは服がジェルでべとべとになる事をいとい、腕だけにしてもらった。今思うと、肩や胸にも塗布してもらうべきだった。塗らなかった部分には翌日水ぶくれが大量に出来ることとなるのである。

 様々な検査の結果、病状は火傷と脱水症状ということだった。入院する必要が無いとのことだったので、家に帰った。自室で横になっていると、体が熱く寒気がしてくる。熱を測ってみると、39度5分もあった。病院に連絡して、指示を仰いだら、体の熱をもっている部分を冷やすようにという指示。頭とわきの下を氷でひやすことに。また、病状がよく判らず不安だったのでWikiペディアで熱中症を調べる。意識があり体温が高いことから、重症度2の「熱疲労」の段階だと判る。ただし、発汗が全然ないのと、熱が40度に限りなく近いことから重症度3に近いのではないかと思われた。それはともかく、体の所々を冷やすことが、熱中症に共通する治療方法だったので、氷による冷却を続行。汗が出ない原因に食塩不足があるのではないかと推測。みそしるを摂取した。みそしるは熱中症の特効薬なのだ。

 次の日は、一日中横になって休んでいた。寝返りの痛みにうなりながら。で、熱が38度後半から39度前半で推移していたので、夕食後に解熱鎮痛剤を摂取した。このおかげで、快眠出来、今日になって出社出来る程度に回復したのだった。

 反省点としては、装備が貧弱すぎた。灼熱地面の上を歩くのにサンダルを持ってゆくべきだし、他の客がしていた様にテントなどを持ち込むのも有りだと思った。まぁ、テントまでゆかなくとも、上着や日傘などは必要かもしれない。室内プール感覚で屋外プールに挑むのは無謀だということがよくわかった。
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